2010年06月23日
ラグビー選手である前に、学生であれ。

「文武両道」という言葉を、頻繁に目にする。
しかし、その言葉の意味とは裏腹に、文武両道の真の意味を感じて実践している者は
意外と少ないのではないか。
「文武両道」の意味は追求していけばいくほど、その言葉の意味は、実にすばらしいものなのだ。
「文武両道」=「進学校でスポーツが強い」とイメージするだろうが、私は決してそう思わない。
「スポーツでも勉強でも、培われる人間としての力は同じだ」というのが
「文武両道」の持つ本来の意味だと思っている。
とある、進学校でラグビー強豪校の監督は言う
「うちの学校に入学することはすごく難しいことです。すごい競争がある。
いろんな学校がある中で、うちでラグビーをやりたいといって入ってきてくれたことは
すごくうれしいことですし、そんな生徒たちを誇りに思います。
ただ、私が思うのは、うちの学校ではラグビーの練習をして、勉強をしようと思ったら、
学校の授業と通学の時間でしか勉強することはできません。
だから、大事になるのは集中力なんです。
ラグビーをする時間も、勉強をする時間も短いけれども、集中してやれば力になる。
通学の電車の中で、集中して勉強していることが、ラグビーの集中力にもつながる。」
進学校の生徒は、中学の頃から猛勉強をしてきたから、勉強に慣れているという特徴はある。
だから、電車の中で勉強をしようという意識が働くが、監督の言うように、
集中力という部分に目を向ければ、文武両道の本来の意味はそこにある。
つまり人間の本質は、ひとつということなのだ。
2時間の勉強の集中力と2時間の練習の集中力は、なんら変わりはない。
逆に言いかえれば、勉強をやってもダラダラやるのであれば、その集中力はラグビーにもつながる。
緩慢なプレーはそこから生まれる。
ラグビーで集中力を持てれば、勉強でも同じように集中力が保てるはずなのだ。
ただそれが、ラグビーを主とする学校は、そのベクトルがラグビーに向いているだけで、
進学校が「文武両道」と呼ばれるのには、その「ベクトルが並列だ」という事だけなのである。
学生の本分が勉学である以上、文武両道は決して進学校だけのものではない。
どんなヤンキー学校だって、どんな偏差値底辺校だってできる。
選手たちは言う
「(進学校のいいところは)成功体験を持っているかだと思います。
たとえば、漢字テストで100点を取るために、何をしなくちゃいけないか。
これだけのことをしないと、100点を取れないと。
手を抜いていると、簡単に60点になる、と。
ラグビーも一緒で、PKを蹴る練習の時、10球あって、10球をしっかり蹴るのか
ちょっとしか蹴らないのか。
結果が出るために何をやらなくてはいけないのか、勉強で分かっていればラグビーでも。
という意識につながると思います。」
「勉強って、好きな科目だけじゃないですよね。
好きな教科もあれば、嫌いな教科もあります。
それでも我慢してやることが、試合での粘りにつながってくる。」
「少ない練習時間と少ない勉強時間。1時間であっても集中するのは同じ。
一つ一つを大事に集中していることが、プレッシャーのかかった場面でも、普通にできる。」
何度も言うように、進学校だから勉強に目が向きやすいのは確かにある。
だが、さほど勉強ができなくても、ラグビーでの集中力が持続するチームであれば
逆に勉強にもその集中力は生きるんだということを忘れてはいけない。
大事な試合が近づいてくると、少しの時間も無駄にしたくないという指導者や選手の気持ちは分かる。
出来る限りの時間を練習に向けたいと思うことは決して悪いことではない。
しかし、もし、それが思うような練習時間を得られなかったとしても、
勉強をしなくてはいけない時間が増えたとしても、
その勉強に向いた時間も、実は大きな力になるのである。
この時期、高校生には中間考査があると思う。それはどの学校も同じだろう。
それぞれに課せられるノルマは高校によってさまざまだろうが、
嫌いな教科であってもそこから逃げずに一生懸命頑張れるかどうかで
今後の人生で大きく変わる。
「文武両道」を力に。
全国の高校生、誰もが持つことができる大きな力である。
「うちの学校に入学することはすごく難しいことです。すごい競争がある。
いろんな学校がある中で、うちでラグビーをやりたいといって入ってきてくれたことは
すごくうれしいことですし、そんな生徒たちを誇りに思います。
ただ、私が思うのは、うちの学校ではラグビーの練習をして、勉強をしようと思ったら、
学校の授業と通学の時間でしか勉強することはできません。
だから、大事になるのは集中力なんです。
ラグビーをする時間も、勉強をする時間も短いけれども、集中してやれば力になる。
通学の電車の中で、集中して勉強していることが、ラグビーの集中力にもつながる。」
進学校の生徒は、中学の頃から猛勉強をしてきたから、勉強に慣れているという特徴はある。
だから、電車の中で勉強をしようという意識が働くが、監督の言うように、
集中力という部分に目を向ければ、文武両道の本来の意味はそこにある。
つまり人間の本質は、ひとつということなのだ。
2時間の勉強の集中力と2時間の練習の集中力は、なんら変わりはない。
逆に言いかえれば、勉強をやってもダラダラやるのであれば、その集中力はラグビーにもつながる。
緩慢なプレーはそこから生まれる。
ラグビーで集中力を持てれば、勉強でも同じように集中力が保てるはずなのだ。
ただそれが、ラグビーを主とする学校は、そのベクトルがラグビーに向いているだけで、
進学校が「文武両道」と呼ばれるのには、その「ベクトルが並列だ」という事だけなのである。
学生の本分が勉学である以上、文武両道は決して進学校だけのものではない。
どんなヤンキー学校だって、どんな偏差値底辺校だってできる。
選手たちは言う
「(進学校のいいところは)成功体験を持っているかだと思います。
たとえば、漢字テストで100点を取るために、何をしなくちゃいけないか。
これだけのことをしないと、100点を取れないと。
手を抜いていると、簡単に60点になる、と。
ラグビーも一緒で、PKを蹴る練習の時、10球あって、10球をしっかり蹴るのか
ちょっとしか蹴らないのか。
結果が出るために何をやらなくてはいけないのか、勉強で分かっていればラグビーでも。
という意識につながると思います。」
「勉強って、好きな科目だけじゃないですよね。
好きな教科もあれば、嫌いな教科もあります。
それでも我慢してやることが、試合での粘りにつながってくる。」
「少ない練習時間と少ない勉強時間。1時間であっても集中するのは同じ。
一つ一つを大事に集中していることが、プレッシャーのかかった場面でも、普通にできる。」
何度も言うように、進学校だから勉強に目が向きやすいのは確かにある。
だが、さほど勉強ができなくても、ラグビーでの集中力が持続するチームであれば
逆に勉強にもその集中力は生きるんだということを忘れてはいけない。
大事な試合が近づいてくると、少しの時間も無駄にしたくないという指導者や選手の気持ちは分かる。
出来る限りの時間を練習に向けたいと思うことは決して悪いことではない。
しかし、もし、それが思うような練習時間を得られなかったとしても、
勉強をしなくてはいけない時間が増えたとしても、
その勉強に向いた時間も、実は大きな力になるのである。
この時期、高校生には中間考査があると思う。それはどの学校も同じだろう。
それぞれに課せられるノルマは高校によってさまざまだろうが、
嫌いな教科であってもそこから逃げずに一生懸命頑張れるかどうかで
今後の人生で大きく変わる。
「文武両道」を力に。
全国の高校生、誰もが持つことができる大きな力である。
Posted by hamakorfc at 10:58│Comments(0)
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