2010年06月18日

文化で語るラグビー『Lowの精神』

文化で語るラグビー『Lowの精神』

ラグビーというスポーツは、プレーが先で、ルールが後からついてきたスポーツです。

ラグビーの前身のフットボールは「一点先取で即、勝利」であったので
どちらかが得点をした時点でゲームは終了だったそうです。

したがって、この面白いフットボールをできるだけ「長く楽しむ」ように様々な事が考え出され、
ルール化されていった。

この「長く面白くやる」というのが根本にあるため、現在でもラグビーという競技は
「つまらなくなったら(危険ならば)ルールを変える」のです。


よく「ラグビーはルールがころころ変わり、わかりにくい」という声がありますが、
「面白くなければルールを変えること」こそがラグビーのアイデンティティーなのです。

このルールを変える上での不文律というものがラグビーには存在します。

例えば

「ボールの争奪が始まったら、ボールの進行を妨げるような行為はしてはならない。」

という不文律があって、その上にルールがある。


したがって、ラグビーでは「ルールに絶対権はなく、判定はレフリーの裁量に任される。」
それがラグビーの本質です。

「レフリー」という言葉の語源は「ゆだねる」ということです。
アンパイア(事実を判断する人)とは根本的に違う。

レフリーにゲームを一任している、それが「Lawの精神」なのです。
ラグビーでは「ルール(Rule、規則)」ではなく「ロゥ(Low、法律)」なのです。

法律なので守って当たり前。

それじゃなきゃ、レフリー1人で30人の屈強な大男を相手にできませんよね。




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