2010年11月26日

いつでも、どこでも、誰とでも。

「いつものプレーができなかった」

そんな言葉をよく耳にする。
 
敗者のコメントに多く聞く言葉だが、
聞き様によっては「いつものプレーができていれば勝てた」そう聞こえなくもない。

ただ、個人的に思うのだが、重要なのは「いつものプレーができなかった」ことではなく
「いつものプレーがなぜ、できなかったのか」。
事の問題がそこにあるのではないだろうか。

いつでも、どこでも、誰とでも。



あるラグビー部の監督は、こう言った。

「調子に波があるかないかは、その人の性格だと思う」と。

この言葉だけで意味が分かるだろうか。

人間性が良くないとか、そういう話を監督は伝えたいのではない。
続けて、こう言っていた。

「調子に波が出るのは日ごろの生活で、やったり、やらなかったりの波があるから。
 スリッパをそろえたり、そろえなかったり。授業に出たり、出なかったり。
 10本のダッシュをすべて一生懸命やるのか、どこかで手を抜いてしまうのか。
 人間に波があるから、調子に波が出てくるのだと思います」

いつものプレーができなかったのではない。
いつものプレーができない人間力に、日頃からなってしまっているのだ。

以前も人間力についてお話したが、おさらいすると

「教室、部活、家と選手には3つの顔があるけど、根本は一つ。
 三重人格の人間だったら、ココというときに力は発揮できない。」

時と場合によって行動を変える、態度を変えるということは、
そこに芯がないということを意味するのではないか。

ラグビー部の時は靴を揃えるのに、家では揃えない。でも、クラスでは揃える。

3つの顔を日ごろから作っていれば、それがラグビーの中でも出てきてしまうものなのだ。

たとえば、学校のグラウンドで試合をしていたのが、総天然芝のラグビー場で試合をする。
普通のチームと試合をしていたのが、花園常連校と試合をする。
決勝戦、テレビ中継、スター選手との対戦…

舞台や対戦相手が変わった時に、日ごろからの生活が影響してくる。
3重人格を作っていると試合でも、いつもとは違う自分が覗いてしまうというわけだ。

「いつものプレーができなかった」とは、実はそういうことなのではないだろうか。




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