心を一つに。

hamakorfc

2011年04月14日 09:42

今年の高校ラグビーシーズンがスタートする。

選抜も終わり、春の総体は目の前だ。
厳しい夏合宿を終えると高校3年生にとっては、人生に一度しかない“最後の秋”がやってくる。





チームの多くは今が方向性を決める大事な時期であり、
また、メンバー選考へ向け、絶好のアピール時期でもある。

公式戦でのベンチ入り総数は25名。
これからは、その定数を掛け、張りつめた緊張感の中での戦いを余儀なくされている。

最後の力を振り絞って、一生懸命にラグビーに打ちこむ姿勢は、
結果はどうであれ、人生を生きていく上での貴重な時間である。

 
それでも、やってくる。
メンバー発表という、一大事が、である。

 
しかし、公式戦を戦う上で重要なのは誰がメンバーになったか、だけではない。
メンバーが決まった後にこそ、それぞれのチーム力が試されるのだ。
公式戦を戦うメンバーと、そこから漏れた選手たちが「いかに気持ちを一つにできるか」
そこに、高校ラグビーにおける一番大切なモノが存在するのではないかと思っている。


「全員で戦う」――。

選手たちは声をそろえて言う。
非常に聞こえのいい言葉だが、大事なのはその意味がどこにあるのかである。

試合に出ている選手が、誰か一人の力で戦うのではなく
「つなぎのラグビー」を徹することが全員で戦うことなのか。

出場している選手が気持よく戦うための環境を
ベンチにいる選手が作ることが全員で戦うことなのか。

メンバーに入っている選手たちだけでなく、部員全員が同じ方向を向くのが
全員で戦うことなのか。

捉え方で意味がぜんぜん違ってくる。


「レギュラーになって、一生懸命やる。
 ベンチに入って、一生懸命に声をだすんは当たり前のこと。
 レギュラーに外れた中でも、一生懸命やれるかどうか、
 教員の一人として、お前たちの姿を見ているからな」

そう話していたのは、とあるラグビー強豪校の監督の言葉である。

その高校は「全員ラグビー」という部訓のもとに動いている。
それが定着してくるまでには時間がかかったというが、その意味を理解してからというもの
チームは変わり始めた。

たとえば、対戦校の偵察はメンバー外の下級生が行くのが常だったが、
3年生のメンバー外が、自らの申告で行くようになった。

現メンバーが勝つために、一生懸命になって偵察することは、チームを一つにする。

メンバー外の想いを感じれば、メンバーたちも自ずと力も入るというものだ。

事実、この高校でプレーしていた選手たちから聞こえてきたのは、
「メンバー外のみんなが分析してくれた」という言葉ばかりだった。

「メンバー外の力」を彼らは感じながらプレーし、結果を残したのである。


これはあくまで一例である。

無形の力がチームの心を一つにするために作用するということを、他の学校でも、
「全員で戦う」とそれぞれのスタンスで実践している。

たとえば、試合後のグラウンド整備にしても、その一端は見える。

通常、レギュラーは試合後、クールダウンや体力回復に専念するために
試合後のグラウンド整備を手伝うことはなく、試合に出場していない控え部員がやることになる。

それは、だいたいどのチームにも共通していると思うが、そんな状況下でも
控え部員たちに「ありがとう」と一声でも掛けているチームには、実力以上の力がある
と感じることができる。

一つの方向を向いているな、と。

とはいえ、こうしたメンバー外や控えの行動は、例えば試合前の指導者の誘導でできるものではない。
日ごろからのチーム運営であったり、もっといえば、メンバー外の人間性に寄るところもある。

 
ある人から、こんなことを指摘されたことがある。

「メンバーから漏れて、ナニクソ!って思うことがそんなに悪いことなの? 
 普通の人間の感情じゃないか。そこを否定するべきではない。
 実際、ある高校のメンバー外の選手で、
 『外れたからチームには勝ってほしくない』というのをいっているのを聞いた。
 『応援なんかしたくねぇ』って。
 悪くないことだよ。気持ちを一つにするとか、話しをつくりすぎじゃないか」

一つの意見としては、分からないでもなかった。


しかし、こうも思うのだ。

3年間、メンバー入りを目指し、それが果たせなかったことだけで、
その選手の高校ラグビーは終わりなのか?と。

メンバーに入れなかったら、それまでの努力が水の泡になるのか?と。

決してそうではないはずだ。

人生に「勝ち組」「負け組」を作って、閉塞感いっぱいの現代社会と同じように、
高校ラグビーを捉えて良いのかと思うのだ。

人生はまだまだ続いていくのだ。
メンバー入りできなかったことは、その当時では忸怩たる想いがするだろうが、
そこで人生のすべてが決まるわけではない。

むしろ、そこでレギュラーになったあまりに、プライドが邪魔をして、
その後、消えて行った選手は何人もいる。

あくまで、「高校3年間」限定で、メンバーから外れただけなのである。
それからの人生はまだ築いていける。

その忸怩たる思いを抱えながらに、チームのために、一生懸命尽くすことこそ
優れた人間力を構築できるのではないだろうか。


「全員で戦う」ことの意味を問いたい。


メンバー外の存在なくして、チーム力は上がらない。

これから秋までの期間で、技術力が格段に上がるかと言うと、そう多くは期待できないかもしれない。
その中で上がるとしたら、部員全員の気持ちを一つにすることで生まれる、プラスアルファだ。

「全員で戦う」という言葉の真の意味を、もう一度、考え直してほしい。
その意味が分かれば、必ず力になるはずだ。

公式戦だけではなく、その後の人生にも、必ず生きる。
高校ラガーにはそのことを実践してほしい。


メンバーに外れて頑張れる人間こそ、本物のラガーマンである。

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