「勝つ」ということ。

hamakorfc

2011年03月04日 08:47

そんなに、その試合に「勝つ」ことが大事なのだろうか―。

大会などを見ていると、そう思ってしまうときがある。



神奈川桐蔭と東福岡の両校優勝に終わった全国高校ラグビー決勝。

この「死闘」は非常に価値のあるものだった。
両校が死力を尽くした結果、見る者を感動させ、なにより
衰退するラグビー界に希望を与えた。

 
しかし、かといって、各地方大会や地区大会、そんな価値があるものばかりではない。
もちろん、「勝つことに価値がない」と言っているわけではない。
「1勝」にこだわり過ぎるあまり大事なものを見失ってはいないか?
と問うているのだ。

勝つことができるのであれば―「相手のミスを期待する」

勝つことができるのであれば―「相手のミスに喜ぶ」

 
「勝つ」ということの価値は、ただ、その試合にだけに存在するものではない。
逆に言えば、勝てば、すべてが満たされるのかというと、決してそうではないはずだ。

特に、昨今の高校ラグビーを見ていると「勝つ」ということに対する異常なまでの執着が
ラグビー選手としての基本姿勢を乱しかねない、そんな気がしてならないのだ。

プレーしている選手だけではなく、指導者、ひいては保護者たちにも
もう一度考え直してもらいたい。

その「1勝」にどれだけの価値があるのだろうか、と。

相手のミスを期待してまで、勝つことで、何が得られるのだろうか。
ある高校の練習試合を見ていて、愕然としたことがあった。

バックスタンド側、応援に来ていた保護者の集団近くで試合を見ていると
ハイパントで上がったボールが、CTBとFBの間のスペースに落ちそうになった。

当然、FBは必死にボールをつかもうとするが、一端は掴んだと思われたボールがこぼれ落ちた。

すると、そのシーンを見ていた保護者たちが手をたたいて大喜びし始めたのである。
FBがはじいたボールが保護者のいたあたりに転がり、ボールをこぼした選手が取りに来ても
保護者の狂喜乱舞する様子は変わらなかった。

「ボールが捕れなくて必死になっている少年がいる前で、手を叩いて喜ぶ大人の姿。」

あれほど、無残な光景を見たのは、今までラグビー観戦歴で初めての衝撃だった。
これが「1勝」のための異常な執着である。

勝ちたいがために、基本姿勢を失っている。

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