人間力

hamakorfc

2010年11月09日 09:22

場所がどこであろうと、相手がどこであろうと、
普段どおり戦えたら良いと思う。


大舞台でも変わらぬ精神力。
人間力と高校ラグビーの関わりを考えてみた。



ラグビーの時だけは、諦めない、我慢する、粘る、平常心を保つとか、そんなことはありえないと思う。
日常生活にもそういう事が出来ているから、ラグビーでも出来る。

名誉とか、誇りとか、『これだけの事を練習でやってきたんだ』という様なものは
練習の中だけじゃ生まれない。
 
もちろん技術も大切で、チームを強くするための練習をおろそかにしろ。ということではない。
ただ、それ以上に、人間の内面的な力を伸ばしていくことが
持っていたものを発揮できる力になると強く思う。

「教室、ラグビー部、家」と選手には3つの顔があるけど、根本は一つ。
三重人格の人間だったら、ココというときに力は発揮できない。

つまり、置かれた立場や状況によって決めごとを実行できない、
気持ちが変わってしまう人間性では、本来の力はでないということである。

たとえば、部内で、「靴を揃えましょう」と決めたとする。
監督や部員の見ている前ではできるけど、それが家や学校生活の中でできないというのは
それは裏表のある人間であるということになる。
舞台や対戦相手が変わっただけで違う人間が出てきてしまうというわけだ。

大舞台で力が発揮できなかったり、相手が強豪ということで力が入りすぎてしまう選手などは
まさに三重人格な人間だからなのだ。

とはいえ、人によっては
「人間力で花園に行けるの?」「優勝できるの?」と考える人がいるのもまた事実。

確かに、ラグビーだけのことを考えれば、それは難しいかもしれない。
だが、何度も言うように、人間力を高めることはひとつの人生でもある。

高校生ラガーにとって、それを映し出す秋の大会が感動を呼ぶのは、
選手たちの人間力に人としての可能性を感じているからに他ならない。

秋(花園予選)は、いわば人間性ゲーム。
この大会で今までやってきたこと、人間性を含めたすべてが試される。

出た結果に対し、出来ていたら自信にしたらいいし、
できなければ、これからの人生の課題にしたらいい。
 
実際問題、人間力は高校生ラガーだけではなく
我々、すべての人間においても持ちうる大切な要素である。

かくいう私自身も人間力を課題に取り組んでいる。

「人を感動させようと思っている人間は、それだけの人間じゃなかったら
人間力を持っていなかったら、人を感動させる事が出来ると思うか?」

ある人に、この言葉を頂いたが、私自身がひと時も忘れたくない言葉である。

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