夏と言えば…

hamakorfc

2010年07月22日 09:30



皆さん、「夏」と言えば何を連想しますか?

やっぱり、海でしょうか?
熱い砂浜。白い雲…

それとも、山ですか?
きれいな空気。小鳥のさえずり…

「お祭り」という方もいるかもしれませんね。

しかし、青春時代、ラグビーに心燃やした方ならば、
夏と聞いて真っ先に思い浮かべるものといえば「夏合宿」ではないでしょうか。

人によっては「ランパス〇〇時間!」とか「スクラム〇〇〇本!」などの記憶とともに
「地獄の…」という言葉が浮かぶかもしれませんね。


「関西の花園」と並び称され、「夏合宿」と言えば「菅平」

時期にもよるのだろうが、数年ぶりに見たそこは、
最盛期に比べラガーマンの姿が少なくなったと聞く。

以前はあちらこちらのグラウンドで、道端でヘロヘロになったラガーマンの姿を見かけたものだ。

「ヘロヘロになった…」というところが夏の醍醐味。

「生活、全てがラグビー」
まさに夏合宿とは心身ともに「ヘロヘロ」になりに行くところなのである。


今でこそグラウンドは天然芝や人工芝になっているが、
昔は雨などに見舞われれば泥人形状態で敵も味方もわからなくなったものだ。


この菅平の歴史を紐解いてみたい。

初めてこの地に合宿を張ったのは法政大ラグビー部。昭和6年のことだそうだ。
そして翌年には早稲田大ラグビー部が訪れた。

法政と早稲田。この両チームによって菅平とラグビーの歴史が始まった。

途中戦争で中断するも昭和26年から再び大学ラグビーの合宿地として復活、
両チームの後を追って同志社大、青山学院大、日体大をはじめ、
関西、関東の大学も菅平を合宿地とした。

その後対戦相手を求め合宿を希望するチームが増える中、
専修大が専用グラウンドを作ったのをきっかけに、
その後、東洋大、国士舘大等が旅館と契約し次々に専用グラウンドを造成していった。

昭和33年に2面だったグラウンドは、昭和58年には37面、
当時のラグビー人気とともに平成元年には68面までに伸び、平成13年には95面となっている。

ピーク時よりも減少してはいるが、現在も800を越えるチームが訪れているようだ。


話はそれたが、とにかく、私の中のラグビーのイメージとは「泥んこ」なのである。

洗濯やボール磨きの大変さや、雨の試合でデコボコになったあとのグラウンド整備など、
いったいどこから手をつければよいやら途方に暮れたものだ。

「ヘロヘロ」になりながらも、長い長い夏合宿を終える頃には
味わいのあるラガーマンになってくるのである。

そしてヒゲを剃って下山するときにはシビレルほど屈強な顔つきに変わっているものだ。
なんとも素朴で叙情的な書き方をしてしまったが、どこのチームも夏合宿を経て強くなる。

高校生は、この時期をどう過ごすかによって、秋が決まってくると言っても過言ではないはずだ。


そんな所に、浜工ラグビー部は今年ももうすぐ出発する。

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