スポーツにおける哲学

hamakorfc

2010年07月06日 08:09



強い選手や精神的に安定している選手は、自分なりの「哲学」を持っていると思っています。

それは勝つ経験で身につけたものだったり、逆に挫折経験から見出したものだったりするのですが
いずれにせよ彼らの哲学には、経験に基づいた説得力があり、
それが精神的強さと競技に向うエネルギー(やる気)を生みだしています。

それぞれの選手によって、彼らの持つ哲学のあり方は異なります。


例えば、ある人は

「自分には勝利への執念が必要」

だと言います。

それは、彼がギリギリの勝負所を落として、負けてしまった経験を持っているからです。


またある人は

「自分にはクールな競技への取り組みが必要」

と言います。

それは彼がこれまでプレッシャーで自分の力を十分に発揮できなかったからであり
その克服のためにクールな気持ちが有効であることを知ったからです。


私は、強い精神を培う事において、どのような心理的状態がベストなのかは
一人ひとり方向性が違うと考えています。

また個人の中でも、その時の必然性によって「クールな気持ち」あるいは「熱い気持ち」といった
正反対のことが求められる場合もあるでしょう。

それまでの「競技経験や心理状態のあり方」によって「何がベストであるか」が変わるのです。

何かひとつ正しい方向性があるわけではないと思います。
大切なのは「自分を知ること」

「自分自信を知る」ことが大事なのは、自分がどこに向かうべきなのかは
自分のそれまでのあり方から必然的に見えてくるものだからです。

一人ひとり異なった自分が目指すべきものを「哲学」と呼んでいるのです。

結局、一人ひとりの「人生哲学」という言葉があるように、「競技人生哲学」が異なるからなのです。


「あなたの競技人生における哲学は何ですか?」


答えは一人ひとりの中にあると思います。

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