ラグビーにおける「勝負」とは
勝負に勝敗はつきものです。
しかし、それは単なる技術や体力で片付けられるものではありません。
時には精神的な問題により大きく勝敗が左右される場合があります。
「ラグビーで一番大切なことは、今、目の前にあるボールを真剣に追うことなのだ。
それができずに、次の試合に気持ちが向かっていれば、実力があっても負ける。
目の前にあるボールを真剣に追えない者には、もっと遠くにあるボールを追う資格はない。
チームにとって最も大切なことは、15人が、目の前にあるボールを真剣に追うことだ。
全員がそういう気持ちになることである」 (大西一平さん)
99年ワールドカップで
オールブラックスが準決勝でフランスにまさかの敗戦を喫した。
これこそ、典型例でしょう。
決勝のワラビーズ(オーストラリア代表)戦に思考が飛んでしまったのです。
そしてもう一つ大切なことは、最初から気持ちを入れなければ
途中から力を出そうと思っても出せない。
つまり「一度切れた緊張の糸は二度と戻らない」ということです。
「一度掛け違えたボタンが二度と元に戻せないように、
試合中に精神的糸をつなぎ直すのは不可能である。
人間は理性的な行動はできない。
最後に勝ち負けを決めるのは理屈ではない。魂なのだ」
よく勝負は「機先を制したものが勝つ」といわれる。
最初がいかに大事か、特にコンタクトスポーツであるラグビーでは
勝敗を決するといっても過言ではないでしょう。
「最初にガツンとタックルされ『コイツは当たりが違う。ヤバい。』
という思いが頭と身体に染み込みゲーム中ずっと引きずっていた。
いかに最初の当たりが大事かを感じた。」(某早稲田OB)
「狂気じみたタックル。大胆な攻撃。
黒衣の英雄は負け犬のはずの敵が闘犬であることに驚き、やがて我を失う。」
(W杯でのオールブラックスの敗戦について:藤島大さん)
つまり、勝負を決めることは一言でいえば「科学と非科学の統一」である
といえるでしょう。
練習では合理的な方法や科学的な方法、知性的な方法を一生懸命やる。
しかしそれだけで勝てるわけではなく、いかに精神を昂ぶらせ、
ぎりぎりの旋律の上をわたっていけるか。
ここに、スポーツ、ラグビーの妙味があるのではないでしょうか。
最後に心に響いたラグビー名言集を少々。
「勝負は理屈ではない。外国人には信仰がある。
日本人が戦おうと思ったら、それに変わるものを作り上げておかなければならない。
それは捨て身になること、命がけになることである。
試合前にエンジョイしましょう、なんていっていたら絶対に勝てない」
「ラグビーは闘争である。そして闘争には恐怖が伴う。
旺盛な闘志と勇気をもって、この恐怖を乗り越えなければゲームには勝てない。
大試合における闘争の倫理の葛藤ほど対処の難しいものはない。
汚いプレーをしても勝負に勝ちたいという誘惑にかられることもないわけではない。
こうした、善悪二律背反の間での修行とフェアーな行動こそ、
ゲームにおける最も重要なことなのである」
「戦術に絶対はない。しかし、絶対を信じないものに勝利はない」
「信は力なり」
「少しでも疑念を抱いてはうまくいかない。自分がやっていることが正しい。
と、それを信じることが一番大切なのです」
「選手が私のことを信じた。私も選手のことを信じた。
人間という存在は、ひとたび信じることができれば、何でも成し得るのだ」
「誰だって、誰をも打ち負かすことができる。一番怖いのは相手を過小評価することだ。」
「普段はやさしい羊でもいい。一日だけ獣になれ」
「敗北は勉強の機会。我々より強いチームが勝った。
それ以上深くは考えず、次の試合のことだけを考える。
もっと、夢を見つづけようということです」
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